出会い


この趣味を始めるきっかけとなった街 '' 中村 ''


かの吉原をも凌ぐ全国屈指の大遊廓がそこにあった


建物のひとつひとつがあまりに巨大に見え、なかなかそこに入り込む勇気が出ない


何度も通っては、かつての残像を僕らは追い求めていた


ある日ようやく決心がつき、とある家の扉を開けてみた


そこに広がる景色はまさしく遊廓そのものであった




大げさな表現かもしれないが、映画で見たそれそのものである


役目を終えた客室、帳場、ホールは当時のまま取り残され、随所に施された装飾は輝きを失い、哀愁すら感じる




そんな建物とは対象的に、そこに住む人達は明るく、なんの躊躇いや警戒も無く僕らを受け入れ、沢山話をしてくれた


何度もその家に通いつめるうち、いつの間にか深い付き合いへと発展した




ここの家もあと数年たてば取り壊すという


残された僅かな時間で何か出来ないか、何かを残せないかと思っている


とりあえず、大掃除でもしてみよう


 かつての輝きが少しでも取り戻せるかもしれない



三重県の遊廓


休日の度に遊廓跡巡り(ギグ)を行っていますが、そう毎回遠くへ行ける訳ではありません。

他の方々のブログを見ていると、よく毎回遠くへ足が運べるものだと関心してしまいます . . . . 。

近場でどこか無いかと調査した結果、三重県がありました

三重は愛知のすぐお隣ですが、余程の用事が無い限りあまり足を運ぶ機会がありませんでした。近くて遠い印象があります。
しかし!!三重県は凄い. . . .

昭和5年発行の「全国遊廓案内」を元に三重県に存在した遊廓をまとめてみました。(遊廓名は全国遊廓案内に記載されているまま。カッコは現在の地名になります。)

長島村 (桑名市長島町)
桑名町
四日市高砂町
菰野町
石薬師町
亀山町
一身田町
津市藤枝町
伊勢上野 (津市河芸町上野)
神戸町 (鈴鹿市神戸)
久居市北新地 (津市久居町)
松阪町
尾鷲
引本町 
田丸町
治山田市新古町 (伊勢市)
古市 (伊勢市)
神社 (伊勢市神社港)
名張町
鳥羽
的矢村 (渡鹿野島)
濱島 (志摩市浜島町)
荒坂村 (熊野市ニ木島町)
ニ木島町 (熊野市ニ木島町)
神口町 (不明)

その数実に25箇所!北海道、山口県についで全国3位の数の多さです。
その他に、戦後の赤線を含め判明している場所として

伊賀上野
富田
湯ノ山
四日市諏訪栄町
庄野
江島
関 (亀山市)
二見浦(伊勢市二見浦)
阿下喜町(いなべ)
津市極楽町
木本(熊野市)

足すとその数38箇所にも及んでいます。



では何故三重県にはここまで遊廓が多いのでしょうか??ちなみに愛知県の遊廓指定は意外に少なく4箇所(戦後赤線として約31箇所まで膨れあがるのですが…)。東京でさえ10箇所なのでその数の多さがわかるかと思います. . . . 。



その答えは伊勢神宮です。


江戸時代には国民の5人に1人が伊勢に行ったとも云われ、「一生に一度は伊勢参り」と歌われる程、全国各地から伊勢を目指し旅をしたそうです。東海道から分岐する伊勢街道には多くの宿場町が栄え、同時に遊廓が形成されたと容易に予測がつきます。

しかし明治に入ると鉄道が敷かれ、街道は時代に取り残され、多くの旅人で賑わった宿場町も衰退を辿っていきます。

全国遊廓案内を読んでも、どこの遊廓も小規模なもので昭和の始め頃にはすでに衰退てしまった街が多く書かれています。中には地名さえ歴史に埋れてしまっている場所もあります。



そんな歴史ある三重の遊廓発掘をテーマに足を運んでみようと思います。


ギロウズ夏ツアー ~京都橋本に泊まる4 ~


新宝光旅館に続きこの夏2度目の元遊廓旅館に宿泊してみました。

今回は京都橋本の多津美旅館さんです。


ここ多津美旅館でも普段の生活と何ら変わりのない、のんびりとした時間を過ごす事になりました。

ここが元々妓楼だった事なんて忘れてしまうものです…。妙に落ち着きます。

メンバーがまだ寝ている中、自分だけ朝早くに目が覚めました。



気がつけばカメラをぶらさげ橋本の街をぶらり。

 
ご近所さん同士が「おはよう」と挨拶を交わしあい、「いってらっしゃい」と仕事へ向う主人を送り出す声が聞こえます。


どこの街とも変わらない日常の光景。


昔ここが遊廓だった頃、一体どんな街だったのであろうか…


橋本の街には当時の面影を忍ばせる建物が数多く残されていました。









早起きは三文の特でもいいましょうか、玄関が少し空いていた御宅がありましたので許可をいただき撮影させていただきました。


実に見事なタイルです. . . . 。





別のお宅の玄関先。もう言葉が出ませんね . . . . 。

しかし、それ以上に凄いのはやはり多津美旅館です。






多津美旅館は元々いろは楼という屋号だったそうで、ステンドグラスの横にかすかに英語でIrohaとかかれているのがわかります。

そしてその横にあるアーチ装飾がまた凄い . . .





これ何なんですかー!!!!

女将さんに伺うと何かよくわからないとおっしゃっていました(笑)。

ステンドグラスの絵が示す通り、1階はダンスホールになっていたらしく、フロアへの入口だったのではないかと思いす。

そのダンスホールだった場所は食堂になっていました。




ここで朝食をいただく訳ですが . . . .




裸の美女にチラチラ見つめらています . . . . 。お味噌汁はいつもと違う味がしました(笑)



多津美旅館の外観や壁は綺麗に手直しが行われていますが、ステンドグラスやタイルなどは勿論当時のままです。まだまだ旅館業は続けられるそうですので、またいつか泊まってみたいと思います。


橋本へは、京都市内からは大分離れておりアクセスはあまりよくありません。コンビニなどの商店もほとんど無い場所ではありますが、街並みは素晴らしいの一言です。

あと何年この街並みが残されるかはわかりません。

是非お早めに橋本へ足を運んでみてはいかがでしょうか。


ご親切にしていただいた多津美旅館の女将さん、橋本湯のお父さん、建物の中を見せていただいた方々へ心より感謝とお礼を申し上げます。

ギロウズ夏ツアー ~京都橋本に泊まる3~


多津美旅館にチェックインした後、旅の疲れた体を癒すべくお風呂へ。


かつて遊廓の入口があった場所に橋本湯はあります。

時刻は22時過ぎ、閉店ギリギリにも関らず番台からお父さんが心よく出迎えてくれました。

橋本に残る妓楼同様、橋本湯さんも開業から100年近く経っています。意外に中は綺麗に改装されていました。







電気風呂、サウナも完備。昔ながらの銭湯のイメージとは少し違っていましたが、とてもいい湯でしたよ。

お風呂上がりにお父さんと談笑。遊廓の名残を見に来たと伝えると、お父さんはニヤリとしながら脱衣所の脇にある扉を開けてくれました。

するとそこには . . . .


ステンドグラス!!

勿論ここは妓楼ではありません。多津美旅館のものに比べれば地味かもしれませんが、一般住宅にもステンドグラスが使われていたのですね。

脱衣所にはこんなものもあります。



木製の古いベンチですがよく見てみると



辻よし楼と屋号が彫られていました!!

更に、お父さんニヤニヤしながら番台をゴソゴソしています . . .

番台から出てきたのは、なんと「赤線跡を歩く」!!

木村さん本人が持ってきたかどうかはわかりませんが、しっかりと橋本のページの角先が折ってありました(笑)

お父さんの撮影許可もいただきましたので記念に . . . .



少し無理矢理な写真ではありますが、やらせではないですよ。着ているTシャツがとても気になります . . .

お父さんはとても気さくな方で橋本の古い話も色々と聞かせてくれました。

是非橋本へ行った際は橋本湯でひとっぷろ浴びて見て下さい。



次回はいよいよ橋本の街並みを歩きます