休日の度に遊廓跡巡り(ギグ)を行っていますが、そう毎回遠くへ行ける訳ではありません。
他の方々のブログを見ていると、よく毎回遠くへ足が運べるものだと関心してしまいます . . . . 。
近場でどこか無いかと調査した結果、三重県がありました。
三重は愛知のすぐお隣ですが、余程の用事が無い限りあまり足を運ぶ機会がありませんでした。近くて遠い印象があります。
しかし!!三重県は凄い. . . .
昭和5年発行の「全国遊廓案内」を元に三重県に存在した遊廓をまとめてみました。(遊廓名は全国遊廓案内に記載されているまま。カッコは現在の地名になります。)
長島村 (桑名市長島町)
桑名町
四日市高砂町
菰野町
石薬師町
亀山町
一身田町
津市藤枝町
伊勢上野 (津市河芸町上野)
神戸町 (鈴鹿市神戸)
久居市北新地 (津市久居町)
松阪町
尾鷲
引本町
田丸町
宇治山田市新古町 (伊勢市)
古市 (伊勢市)
神社 (伊勢市神社港)
名張町
鳥羽
的矢村 (渡鹿野島)
濱島 (志摩市浜島町)
荒坂村 (熊野市ニ木島町)
ニ木島町 (熊野市ニ木島町)
神口町 (不明)
その数実に25箇所!北海道、山口県についで全国3位の数の多さです。
その他に、戦後の赤線を含め判明している場所として
伊賀上野
富田
湯ノ山
四日市諏訪栄町
庄野
江島
関 (亀山市)
二見浦(伊勢市二見浦)
阿下喜町(いなべ)
津市極楽町
木本(熊野市)
足すとその数38箇所にも及んでいます。
では何故三重県にはここまで遊廓が多いのでしょうか??ちなみに愛知県の遊廓指定は意外に少なく4箇所(戦後赤線として約31箇所まで膨れあがるのですが…)。東京でさえ10箇所なのでその数の多さがわかるかと思います. . . . 。
その答えは伊勢神宮です。
江戸時代には国民の5人に1人が伊勢に行ったとも云われ、「一生に一度は伊勢参り」と歌われる程、全国各地から伊勢を目指し旅をしたそうです。東海道から分岐する伊勢街道には多くの宿場町が栄え、同時に遊廓が形成されたと容易に予測がつきます。
しかし明治に入ると鉄道が敷かれ、街道は時代に取り残され、多くの旅人で賑わった宿場町も衰退を辿っていきます。
全国遊廓案内を読んでも、どこの遊廓も小規模なもので昭和の始め頃にはすでに衰退てしまった街が多く書かれています。中には地名さえ歴史に埋れてしまっている場所もあります。
そんな歴史ある三重の遊廓発掘をテーマに足を運んでみようと思います。
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