ギロウズの夏合宿 豊橋東田遊廓に泊まる




ギロウズ夏合宿!!豊橋市東田町へ行ってきました。

東田には明治から売春防止法実施の昭和33年まで遊郭が存在していました。

遊廓廃止後ほとんどの妓楼は旅館へと転業し、今回宿泊した新宝光旅館もそのひとつです。


昔妓楼だった場所に泊まるのは一体どんな気分なのだろうか?


此処へ登楼した男、そして此処で男を出迎えた女 . . . .


様々な妄想が頭の中を駆け巡り、僕は内心とても緊張していました。



ところがですね . . . .



妙に落ち着くんです. . .  。

三河は自分の産まれ故郷でもあってか、まるで実家へ帰ってきたような気分です。

重要な写真撮影、取材もすっかり忘れ、ただただお酒の入りがすすんでしまいました。


おや??





部屋で鉄砲の稽古が始まりましたね~。

テレビからは聴きなれた音楽が流れ始めましたよ . . . . 。

探偵ナイトスクープです。相変わらず西田敏行が泣いています . . . . . 。

何故かYou Tube でシティボーイズのコントを見始め、メンバー一同大爆笑!!


結局自分の部屋にいる感覚と変わらないものです。(自分の部屋で鉄砲の稽古はしませんが . . . )


散々飲んではしゃいだあげく、気が付けば朝でした . . . . 。


部屋に入り込む夏の強い日差しと、うるさい程の小鳥のさえずりに起こされました。

ふと窓を開けてみると


目の前には妓楼が . . . . 。

この時、ようやく普段とは違った場所にいるんだなと実感しました。ここは元々遊廓だったのですから。


結局のところ、元妓楼だった旅館はただただ落ち着くおばぁちゃん家のような所でした。


最後にざっくと館内をご紹介







また秋合宿をここで行いたいと思います。貴重なものをいつまでも残し続けて欲しいとギロウズメンバー心より願います。


p.s 一緒に泊まる予定だった東京の遊郭部さんは仕事の都合で急遽来れず。しかし我々が泊まった翌日に宿泊されました。我々の数十倍、臨場感の伝わるレポートを是非ご覧下さい。

遊郭部ブログ 東田遊郭に泊まってみた・愛知県豊橋『新宝光』

ギロウズ夏ツアー 大津柴地遊廓4


裏路地から抜け出ようとした時、なんだかものすごいオーラを感じました . . . .



玄関が見えます。垂れ落ちた照明には相当の年季を感じます。


更に大好物の下地窓が。これは妓楼に間違いなさそうです。


さて表に回ってみましょうか . . . .




正真正銘の妓楼です。



土壁は剥がれ落ち下地が見えています。しかし丸窓のデザインは見事なものです。


サイドに回ると更に凄まじい崩れ具合 . . . .


床は抜け落ち完全なる廃墟と化していました。いつ頃まで人が使っていたのでしょうか?


妓楼の目の前は土手になっており、ゆるやかな小川が流れています。

地図で見た川はこの小さな川の事でした。


左には立派なマンション、右には朽ち果てた妓楼。

現代と過去に狭間するこの川こそが、日常と非日常を隔てる境界線なのです。

そして僕にはどうしても嘆きの壁でもあった様に思えてしまうのです。

この小川は何年もの間、変わり行く街並みを眺め、様々なドラマを見てきたのでしょう。



最後は廃墟好きのブログのようになってしまいましたが、大津下柴地遊廓はこんな所でございました。


おまけ


真町遊廓。柴地遊廓と違い区画整備されまったく面影がありませんでしたが、1軒だけ妓楼らしき建物がありました。確証は得ていませんが、どうなんでしょうか . . . ?

ギロウズ夏ツアー 大津柴地遊廓3


下柴地遊廓の目抜き通りを歩いているとサイドにちらほらと細い路地を見かけます。


人が丁度すれ違える位の幅です。


会員制のスナックがやたら多いです。遊廓跡地のスナックとなるとどうも怪しい気がしてなりません 。

通りを挟んで反対側の裏路地にも入ってみましょう

とここで、行動を共にしていたメンバーのグルメさんが妙に色っぽい奇声を発しました。

 

「キャ~ん!!」





さすがに僕も声を上げてしまいましたよ . . . .

今までの場所とは空気感がまったく違います。


一見、廃墟化しているかと思いましたが、洗濯物を干しているおばちゃんや、日向ぼっこをしている老人、さらには子供の泣き声まで . . . . .

ここの一画は時代から大きく取り残されながらも今だ生活感に溢れていました。

更に奥へ進むと



所々が素晴らしすぎます . . . . . 。

建物が連なっているのに加え、あまりにも細い路地でもあるため、取り壊す事が難しいのでしょう。それが故に、よくぞまぁここまで残っていてくれたものです。



長屋妓楼の密集エリアをクルーっと一周すると再び目抜き通りにでます。

おや . . . . ??


またしても向いに細い路地の入口が。アーケードのようにも見えます。


美幸クラブ . . . . 。美幸ママのファンが集うスナックでしょうか?入り口が見つかりませんよ . . . . 。


久富美。右読みの古い看板です。おそらく当時の屋号でしょう。


こちらも中々の雰囲気があります。まるで妓楼を一軒くりぬいたかのような木造式アーケードです。


アーケードを抜け出ると、外側に廊下の設けられた妓楼が迎えてくれました。壁の色も色っぽいです。

遊女が2階から客を手招きする光景が目に浮かびます。

この裏路地から通りへ抜け出ようとした時、なんだかものすごいオーラを感じました . . . .



(つづく)


ギロウズ夏ツアー 大津柴地遊廓 2



名古屋から乗り継ぐこと約2時間半。大津へとやってきました~!!

今回は1日で滋賀3箇所をまわる強行スケジュールのため、前置きは省略です。


大津の印象を一言で説明すると、古い!渋い!!


さぁさぁ、駆け足で遊廓のあったと思われる長等町へと向います。


初めて訪れる地のためイマイチ土地勘が掴めずウロウロしていると、あちらこちらにスナックが現れはじめます。


これは廓へと近づいている証拠でしょうか。ムンムンと色気づいてきましたよ . . . .


おおっ!!


と思いましたが、こちらは登録有形文化財にもなっている料理屋「豆伸」さんです。

大正3年の古地図にもちゃーんと名前がついていました。



という事は、豆伸さんの横の道が廓の入り口、下柴地遊廓となる訳です!!

近くにいたおじいちゃんに確認をしてみましょう。

「あぁ昔遊廓だったよ。ここはメインの通りで、よぉ賑やかやった。あそことあそこと、あそこの家が今でも残ってるよ。」

と、とてもご親切に教えてくれました。

それでは '' あそことあそこと、あそこの家 '' に近づいて見ましょう。


まずは最初のあそこ



見事な屋根です . . . . 。奥行きもかなりあり、大店であったと思われます。


次のあそこはそのお隣さん



こちらは西洋風な作りが印象的です。


レリーフもお見事です!!


最後のあそこの家です


屋根を見ると瓦になっています。こういう和と洋が交じり合った遊廓建築はギロウズのツボです。どうやら飲み屋さんっぽいので、次回は夜に伺いたいものです。

おじいちゃんの情報によれば、この建物の十字路を境に上と下とで分かれていた様です。


上柴地遊廓

下柴地遊廓

ちょうど、メインストリートの真ん中にたっている事になりますね。

次は目抜き通りから1本裏へ入ってみる事にしましょう。




(大津の凄さはここからでした . . . . . )

つづく 

ギロウズ夏ツアー 大津柴地遊廓1


The ギロウズ夏のツアースタート!

8月は今までにない強行スケジュールを決行します。
(ツアースケジュール)


今回からギロウズルールを設けました。

「ツアー前に他人の遊廓サイト及びブログの画像閲覧は一切禁止!」

妓楼を見つけた時の感動をより一層高いものにしたいからです。

代わりに遊廓歩きのバイブルこと「全国遊廓案内(昭和5年発行)」を頼りに廓へ足を運びたいと思います。

ツアー第1弾は比較的愛知から近い滋賀県をチョイスしました。近い割に、今まで一度も足を踏み入れた事のない土地です。今回は大津、八日市、彦根の3箇所を1日で回ります。
 
まずは県庁所在地大津です。全国遊廓案内によると大津には

 ・上柴地遊廓
 ・下柴地遊廓
 ・甚七町遊廓
 ・真町遊廓

の4箇所遊廓が設置されていました。

中でも何故か上下で分かれている柴地遊廓という場所が目につきました。

案内によれば

「大津市上柴地遊廓 は東海道線大津市上柴地にあつて柴地遊廓とも言はれて居る。大津には県庁があつて、県下行政の中心地であり湖上交通の要津となつて居る。古い歴史を持つだけに、随じつて花街も古くから開けて居たものらしい。明治初年に現在の個処に集娼妓制と成つたものである、店は陰店を張つてゐて、娼妓は芸妓と同様に送り込み花制で、費用は一泊四五円位で附かない。」

「大津市下柴地遊廓 は同市下柴地にあつて上下両者勢力争ひの観がある。制度も費用も上下共略同様だ。」

この文から、場所は柴地という場所にあった事が判明しました。そして上下で派閥があったのでは?と予測されます。なんだか面倒くさそうな遊廓 ですね

何はともあれ早速柴地へGO!!!



という訳には簡単にいきません . . . .



住所で調べても柴地という地名は出てきません。他の甚七町、真町という町名も見当たりません。

結果、大津では住居表示が整理統合され、昔の町名は変更されていました。

となると古地図に頼るしかありません。

古地図を探していると大正3年発行のものが出てきました。


甚七町は今の松本町、真町は長等公園の付近という事が分かりました。しかし柴地という地名がすぐに見当たりません . . . .

地図と よーく見てみると



上馬場廓、下馬場

全国遊廓案内発行の昭和5年と、古地図の大正5年とは少し時代の差はありますが、上下で分かれている事から柴地遊廓と特定できます。町名を見るとシバヤ丁(柴屋町)になっていますね。

現在の地図と照らし合わせてみます。ポイントになるのは川と郵便局です。

現在の地図を見てみると


ピンクのエリアからポイントとなる川と郵便局が照合しました。

という訳で柴地遊廓は現在の長等3丁目付近である事がわかりました。

下調べは以上で終了です。画像検索はしていませんよ!!

さぁ、それでは大津へ向かいましょう!!

(つづく)